無駄な時間の過ごし方の例の代表としてゲームが出てくると悲しくなる。
よく見る問いかけは、例えばこんな感じ。
「大事な人生をパチンコ、ゲーム、ネットサーフィンなどで無駄に過ごしていいのですか」
どうしてここにゲームが入るのか分からない。
ゲームが入るなら、小説や映画や音楽鑑賞も入っていい。
しかし、それらは決して入らない。
それが不思議でしょうがない。
いいゲームは小説のようにストーリーが面白いし感動的で、時には泣いてしまうこともある。
小説家同様、素晴らしいクリエーターの人がストーリーを作っている。
いいゲーム音楽はたくさんあり、オーケストラで演奏されてコンサートになるものまである。
実際モンスターハンターのコンサートに行ったが興奮と感動した。
ゲームだからといって、才能ある作曲家が真剣に曲を作っているのだ。
どうぶつの森のBGMは何度聞いても心が踊る。
ドラゴンクエストのオープニングが流れると「ドラクエが生まれた国の人であることが誇らしい」と涙が出そうになる。
ときめきメモリアルの曲を聴くと、それぞれのキャラとの思い出が走馬灯のように蘇りやっぱり熱い想いがわいてくる。
・・・なのに、なぜ小説、映画、音楽鑑賞は時間の無駄ではなくて、ゲームは無駄なのが当然なのか。
後に何も残らないから、という意見がある。
小説、映画、音楽だって、鑑賞後は何も残らないではないか。
感動が残るというなら、ゲームだって同じだ。
ゲームは時間がもったいないという友人にこのことを説明したが、やっぱり理解してもらえなかった。
「それでもなんかゲームは時間がもったいない気がするから」
という論理的ではない理由で。
ゲームは時間の無駄と言い切っても許されるもの、という世間の認識があるように感じる。
「あいつはいじめてもいいヤツ」みたいなノリで。
いいゲームは時間の無駄なんかではない。
人生を豊かにしてくれるものである。
任天堂の故岩田社長が「ゲームをすることが恥ずかしくない社会にする」と言っていて感動した。
まだ実現していないと感じるし、私も電車でゲームする勇気はない。
しかし、ゲームが立派な趣味の1つとして市民権を得ることを心から願っている。
マイベストゲーム。