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モウソウの森

モウソウ英語学習エッセイストマチルダが脱力と感動をお届けします。英語学習、外資系の日常、バリ旅行、ホットヨガ、3DSゲームなど。

何をもって「英語を話せる」と言っていいのか

英語学習エッセイ

「英語話せるの?」と聞かれて困ることがないだろうか。

何が基準で話せると言っていいのか分からない。

ここから下の人は「話せない人」、ここから上の人は「話せる人」、なんて基準はない。

面倒なのでいっそのこと基準を作ってくれよ、とすら思う。

 

日本人のイメージ的には

英語話せる=完璧な発音でどんな内容でも付いていける

みたいなのがあるようだ。

かなり上手な人でも「まだまだです」という。

「話せます」と即答したら、相当なプロだと思われる。

 

どんなハードルの高さだ?

 

私なんて、日本語で話すときだってボソボソ話すし、よく知らない内容のときは無言がちになる。

プロの通訳さんだって、どんな内容でもその場で理解できると思われたら困ると言っていた。

 

つまり、日本語ですら到達できない状態でないと「話せる」認定できないことになる。

 

 

では、外国人は「話せる」基準をどう捕らえているのだろうか。

 

外国人の上司と個人面談で英語の上達度について話したとき

"Are you comfortable when you speak English?"(英語話すとき心地よく感じる?)

と聞かれて驚いた。

 

発音とか流暢とかそういうことではなく、大事なのは話すとき自分が苦痛じゃないかなんだと。

自分基準でいいのだ。

 

 

最近私は「話せます」と堂々と言うようにしている。

完璧発音でも流暢でもないけど、英語を話すとき別に苦痛を感じないから。

 

これは「英語を話せる」のハードルを下げる運動の一環でもある。

自分より上級者が「まだまだです」と言っているのを聞くと、自分は話せるといいにくくなる。

自分より苦手な人のために、話せないとは言えない。

 

どんどん「話せる基準」を下げて、英語を気楽なものにしていこうじゃないか。

 

 

「話せる」と言っておいて、「意外と下手だな」と思われたら恥ずかしい?

 

「あの程度で話せるって言っていいんだ」と周りにアピールすることで、英語を話せる」のハードルを下げる運動に貢献した勇者として誇りに思おう。

 下手なほど勇者としてのレベルは高いのだ。

  

 

 

人生で大切なことはみんなRPGから教わった

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 今日はゲーマー魂が文章にでちゃいました。